自身の体験をきっかけにスポーツビジネスを志す超行動派大学生、鹿志村さんにインタビュー
今回はスポーツの領域での起業を目指し、現在すでに2社目を起業をしている鹿志村翔さんにインタビューを行いました。
過去の経験からビジョンを決め、そこに向けてどんな逆境からも這い上がっている方なので、とても魅力的なインタビューができました!
・起業に向けて熱いパッションを持っている
・スポーツ領域に興味がある
・今の自分に満足していない
という方に是非とも読んでいただきたいインタビュー記事です!
プロフィール
2002年宮城県生まれ
株式会社Leap代表取締役CEO
東日本大震災と楽天イーグルスの優勝をきっかけにスポーツビジネスに興味を持つ
2023年の12月に1社目を起業し、2024年12月に同社を株式譲渡。
2025年3月株式会社Leapを創業。

起業は「いつ」「何がきっかけ」で目指すようになったのか
そもそも鹿志村さんはなんで起業を目指そうと思ったのですか?
高校2年の時にコロナで学校がなくなったんですよ。
その時に「自分は何になりたいのか」ということを見つめ直して起業をしようと考えました。
ただ、この時は具体的にどういう領域でやりたいとかは決めていなくて、ただただ社会に影響を与えたいと思っていました。
そうなんですね!
高校2年のときにそう思ったということは進路にも影響が出たんじゃないですか?
そうですね!
僕は当時、地元の宮城の高校に通っていたのですが、起業を目指すなら情報や機会の多い東京に行きたいと思い、大学は東京にあるところに行こうと決めました!
その当時の僕は偏差値30くらいだったんですけど、起業の意思を固めて東京の大学に行くことを決めてからめちゃくちゃ勉強しました(笑)
スポーツ領域に興味を持ったきっかけは「楽天イーグルス」
今のビジョンはどのようなものですか?
「人生のターニングポイントを創る」です!
すごくいいですね!
スポーツの領域に興味をもっていると伺いましたが、なぜ興味をもたれているんですか?
僕は2011年の東日本大震災の時に宮城にいて被災をしました。
その時は街の機能も住んでいる人の心も弱っている状況でした。
そんな中で、東北に本拠地を置く楽天イーグルスが震災から2年後の2013年に日本一になった瞬間をスタジアムで見たんです。
その時の熱狂的な空間がすごく印象的でしたし、そこから東北の人もものすごく勇気付けられて復興のスピードが目に見えてあがったんです。
今振り返れば、あの時の瞬間はまさしく「私の人生のターニングポイント」ですし、そういった機会をより多くの人に提供したいと思うようになりました。
なるほど!
あとは地方創生にも関わりたいと思っています。
それこそ、僕は小学6年生の時に自分の住んでいた地域の町長に「この町をどうしたいか」みたいなことを話す機会があったんです。
そこで「街に有名なアーティストを呼んでライブをしたい」とか「有名なスポーツ選手を呼んだビッグマッチを開催したい」みたいなことを話したこともあります。
思いは当時と変わってなく、今でも必ず実現させようと考えています。

では、自分の原体験をもとに考えたビジョンなのですね!
そうですね!
もともと起業を志した高校生の時は領域は決めてなかったと思うのですが、今のビジョンはいつごろに決めたんですか?
大学1年の9月ですね。
その時に同じく起業を志す大学生やすでに起業をしている事業家の人たちの合計20人くらいを前にして、ビジョンをピッチする機会があったんです。
自分の中で何をしたいかを再度考えた際に、やはり楽天の優勝が私の人生の分岐点であり、あの時の感動を作るということがビジョンの根幹になりました。
成長の鍵はインプット2割、アウトプット8割
経営に寄った話も聞けたらと思うのですが、そもそも経営に関する知識はどのようにして学んだのですか?
起業を目指す人が集まる学生団体でのインプットと自分でのアウトプットですね。
特にアウトプットにリソースを割いたのが大きいと思っていて、インプットとアウトプットを2:8くらいの割合にしていました。
学生団体でのインプットでは、モノポリーというボードゲームを用いた経営シミュレーションをしていたのですが、アウトプットに時間を割いていたことでリアルの課題をシミュレートできていたのが今の自分を作っているなと思います。
確かに、インプットをどれだけしてもアウトプットしなければ実質的な成長はないですもんね…
具体的にアウトプットとしてどのようなことをしてきましたか?
いろいろやってきましたね(笑)
一番最初に経営の知識に活かせたなと思うのは地元の役所に事業計画書を出した時ですかね…
僕の地元にお城のような見た目をした図書館があって、その天守閣の部分をホテルにしたら地元が盛り上がっていいんじゃない?と思い役所に提案しました。
ベンチマークなどもしてかなりしっかり資料を作ったのでいい返事ももらえていたんですけど、形になるまで時間がかかりそうなのでやめました。当時の鹿志村くんはとにかく早く進みたかったので(笑)

その次は地元の宮城で開いたPKイベントですね。
この時には自分のビジョンが固まっていたので今の自分ができるスポーツイベントを開こうと思って開催しました。
レアル・マドリードの日本支部やサッカー系YouTuberに交渉したり、地元の企業に飛び込み営業をかけたりと、当時の自分なりの最大の結果が出せるようにやれることを全部やって、最終的にスポンサーを40社集め、200人が参加するイベントになりました。


この時点で色々行動していますね…
どうなんですかね(笑)
他にも色々な事業やビジネスに挑戦してきましたが、うまくいかないことの方が圧倒的に多かったです。
そうなんですね!
今はどんな会社を経営されているんですか?
現在は、人材紹介業会社を経営しています。
主に20代・30代の未経験転職を支援する事業です。
(鹿志村さんの会社については別の記事でも紹介しているので、そちらもご覧ください)

ビジョンとは離れている領域のように思われますが、なぜその事業をしているのですか?
将来のゴールから逆算した上で、そこに至るまでのマイルストーンに向けて動いているからです。
今の自分はまだまだ未熟です。
その自分が足りていないのが、
・経営者としての実力
・資産
の2つだと考えていて、その2つを最短最速で取りに行けるかつ、私のビジョンである「人生のターニングポイントを創る」ということができる事業なのでやっています。
めちゃくちゃ逆算した上での決定なんですね!
では、1社目を売却されたのも同じような理由なんですか?
そうですね。
売却はいくつか理由がありますが、マイルストーンとしての意思決定は大きかったです。
創業して1年で会社売却はかなり早いですよね。
比較的早い方だと思います。
買い手さんがM&Aに慣れていたこともあり、募集から3ヶ月ほどで成立しました。
事業自体も順調に伸びていますし、いい経験になりました。
1円の売り上げを作ることはこんなにも難しい
ここまで色々な経験を聞いてきましたが、挫折経験とかはないんですか?
ありますね。
挫折というか、厳しさを経験したという意味では最初の売り上げを作ったサッカーイベントですかね。
2ヶ月で企画から実行まで進めるというタイトなスケジュールで、チームの集客とスポンサーの営業を一人でやっていました。
当然、どちらも簡単に進むわけがなく、毎日朝から晩までがむしゃらに歩き続けてました。
売り上げの0→1を作ることはこんなにも大変なのかと思ったのを覚えています。
最初は難しいですよね…
そんな経験をしながらも今も挑戦しているのはなぜですか?
自分には起業しかないんですよね。
やっぱり自分の手で価値を作って、その価値を受け取った人が「ありがとう」って言ってくれる経験は他に変え難いものです。
もちろん、その1個の「ありがとう」の裏には多くの厳しさや苦しさがありますが、自分が作った価値で皆さんが喜んでくれるのは本当に嬉しいです。
それをより大きい形で多くの人に届けるということは、今後も変わらずに自分のビジョンとしてあり続けたいと思っています。
最後に起業を目指す学生に向けて一言!
最後に鹿志村さんから起業を志す大学生に向けたアドバイスはありますか?
本気でやるなら成功するまでやり続けることだと思います。
成功するまでやり続ければ、いつかは必ず成功するのでどんなに苦しくても厳しくても打席に立ち続けてほしいです。
鹿志村さんの会社の詳細は、こちらからご覧ください。
https://leap.yokohama